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ミニ写真集

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バイク

2009年3月 9日 (月)

バイクを降りたのは・・・

0170 バイクを降りる事は、実母の強い希望でした。(マザコンぽくって嫌ですか?)

バイクを買った二十歳代は、峠道によく通いました。

もちろん、走るためです。

母は、自分の息子の性格を、よく知っていましたから、バイクを降りて欲しいと願っていました。

峠で危険な運転をしていると思っていたんでしょうか?

親が思うほど、危険なライディングは、してなかったのですが・・・、母親には耐えられなかったようです。

学生時代、バイトして手に入れた初めてのバイクは、VT250でした。

社会人、バブルの頃に手に入れたバイクは、CBR400RRでしたが、結婚時に廃車・・・。

結婚後、通勤目的で、エイプ100(1ヶ月足らず)を買いましたが、車体のコンパクトさから、買い直し、ヤマハ・ジール(250cc 4気筒)で通勤しました。

ジールを手放し、クルマに乗り換えて、母の願いは、私が40歳過ぎになった時に、叶った事になります。

クルマを買う時に、金銭的な援助をする事を交換条件に、バイクに乗らない約束を、母親と交わしました。

歴代バイク記事 :  (VT250)  (CBR400RR)  (Aep100)  (ジール)

2008年8月24日 (日)

きけん看板と私

01_3 まぶしい !

海、夕日、ツーリング、そして「きけん」の看板が・・・。

和歌山~伊勢志摩ツーリングで立寄った本州最南端の「潮岬灯台」でのひとコマ。

赤いブーツが浮いているけれど・・・、白いヘルメットは当時のプロレーサーが使っている物とほぼ同じ。

0102

世の中バブルの頃、’89年にバイクもヘルメットも新調したから、信じられないくらいレースで使用された物が多かった。

ラジアルタイヤ、総アルミのフレーム、アルミの集合管(マフラ)が標準のバイクは、バブル時代だから許されたと思います。

2008年7月 2日 (水)

涙とバイク

Rcrpl3sw 出るわ出るわ、涙が止めどなく出る。海の傍のアスファルト道路は、誰も来ないから時々、ノーヘルのバイクで走ってみる。

失恋とか人間関係の不信とか、その諸々で悲しいが、人前では涙が出せない時、海の傍のアスファルトに、絶対1人のバイクでよく来ました。

フルフェイスに腕を通して、メガネもサングラスもしないで、バイクをフル加速させると、涙が出るまでに2秒と掛からないし、200メートルも走らない内に、流したくとも流せなかった涙で顔面が濡れたっけ・・・。

バイクを止めて、タバコの2本でも吸うとまた日常に戻れたとから、それは不思議なことでした。

学生の時が多かったのですが、社会人でも海岸沿いのノーヘルを経験しました。余程流す事を我慢してるんだ、だからと言って人前では流したくない・・・。

バイクってこんな時最高の乗り物だと思いますね!

写真は、伊勢志摩にツーリングに行った時、景色の良いところで一休みです。高校時代の友人と2人、ゴールデンウィークに出掛けました。

結構時間がゆったりと流れている伊勢志摩ですが、また機会があれば、家族と行ってみたいですね!私か妻のどちらかの両親を連れて、親孝行ができると、なおいいですね!

街乗りに毎日バイクを使うのも良いけど、1年に数回は、景色のいいところを走りたいです。景色良し、料理良し、道路良し、なんか、スッキリした気分でツーリングに行きたくなりました。

2008年7月 1日 (火)

バイク通勤がやってくるのか?

Rdrksclq 私にもバイク通勤はやってくるのでしょうか?

ガソリンが、今日から180円に値上げすると言いますが、10kmの通勤路を、燃費8km/lのクルマで通勤すると、ガソリン代が180円で、450円です。(ちなみに120円だった時は300円でした)

駐車料金を日割りすると、350円/1日ですから、現状クルマでの通勤コストは、800円です。(現実は、通勤費補助で、駐車代は相殺されています)

ドンとガソリン代450円/1日として通勤費が、今日から私に降り掛かります。

もし、バイクに変えたらどうなるでしょうか・・・。燃費20km/lのバイクなら180円/1日となります。オマケに駐車料金は不要となります。(通勤補助は、クルマの3分の1くらいに減らされますが、12リットル/月くらいのガソリンを買えます)

ザックリ考えると、バイクだと約100円の通勤コストで済みます。クルマ通勤の450円とバイク通勤の100円の差額は、350円です。

30万円の中古バイクだと、3年半乗ると元が取れる計算になりました。(通勤日数を240日で計算しました)

250ccは、車検がありませんから、ランニングコスト的に有利です。交通をリードしていける加速にも不足はありません。

後は、リスキーな面をクリアーにしなければなりませんが、一番は、交通安全に関係する事やと思います。次に雨や雪等の天候変化対策、暑さ対策・・・、後は、実母を説得することです。

2008年6月 7日 (土)

白浜一泊ツーリング

Hnwdbd4p 同僚と私の4人で南紀白浜に行った時の写真です。中央の白っぽいジャンバーが20代真中の私です。

兵庫からだと、大阪の環状線で、かなり恐い思いもしましたが、一路「高野山龍神スカイライン」を目指したので、環状線は避けては通れません。このスカイラインは、長い有料道路で、白浜に行く時はよく通ります。

「高野山龍神スカイライン」では、料金所で警察が入っていないかを確認しました。「警察は入ってないけど、飛ばし過ぎに注意してね!」との返答あり。

さて、私のVT250とTさんのVF400が、本気の全開モードに突入しました。(本気と言っても、ここはサーキットとは違い、公道ですから幾分余裕を残します)

峠道では、必ずしも排気量の大きい400ccが有利だとは限りません。どっこいどっこいで先行した二人に、無茶をせず、そこそこのペースで付いて来た同僚2人。本当は、後の二人こそが正しい走り方だと今にしてみれば思います。私とバトルしたTさんは若かったんだと思います。

昼3時そこそこで、白浜近くに付いてから宿を決めました。予約を入れる本来のやり方とは違うのですが、ゴールデンウィークやお盆の様な忙しい時期を外すと案外当日予約でも宿は取れます。(このやり方は奨めません)

民宿で一泊です。風呂は温泉でした。きちんと朝食を取って、「三段壁」等を観光しました。

帰りは、海岸線沿いを通って帰ってきましたが、当時高速道路があまり延びておらず、国道をせっせと帰って来ました。

2008年5月14日 (水)

レトロなバイク

Uemkgpmc
レトロなものを見て、4字熟語の「温故知新」を思い出します。普段は、過去の事など思い返しませんが、チョット思い出を整理すると、新しい発見もあります。

写真はあるのに、思い出せない過去もありますが、不思議です。普段、何気に遠くの友人に手紙を書いて、出す前にコンビニでコピーし、クリヤーファイルで保管する事が多いので、友人の手紙がまるで日記の様です。

思い出せないのは友人に手紙を書かなかったからだと思いますね・・・。頭からすっぽりと抜けてしまった思い出は、どうしようもありませんから、無理やり引き出しはしませんが・・・。

何かの拍子に、思い出すかもしれませんし・・・!近くの友人と行ったツーリングの様子がどうしても思い出せません。

次の休みの日にでも、近くの友人でもあるツーリング仲間を訪ねてみようかな・・・?

2008年5月13日 (火)

あこがれのグランプリ・マシーン

1gvpjfyd まさに、ホンダテクノロジーの集約、500ccのグランプリマシーンですが、クルマで言うところのF1マシーンに匹敵します。

この時のレーサーは「フレデリック・スペンサー」で、最年少21歳でワールド・チャンピオンに輝いています。そのレプリカ(?)マシンに跨っています。

秋田でのバイクミーティングの時に撮影しましたので、Tシャツ、ジャージの思い切りくつろいだ格好です。

レーサーには憧れたけど、自分はそんなに早くない事を知っていました。ツーリングクラブで走っていて、メンバーの一人と男鹿半島に走りに行った事があります。

彼は、RZ250(2スト)、私は、VT250(4スト)で、半島を使ったバトルです。

出だしから置いていかれます。コーナーを過ぎるごとに、差を広げられ、後半では軽々100m以上の差です。バイクの差もあります。

2ストは、4ストの排気量換算で、1.5倍くらいの差がありますから250cc×1.5=約380ccくらいでしょうか・・・。RZ250は、400cc並みの排気量だったのです。

でもバイクの排気量より、恐怖心に耐えられるだけの精神的なキャパシティが問題なのだと思っていました。

コーナーに侵入する度、顔を引きつらせているのと、コーナーが近づく度、ルンルンな気持ちになるのとではどちらがレーサーに向いているか分かりますよね!ちなみに私は前者です。

2008年5月12日 (月)

バイクがいっぱい

Pubu3z38 ’80年代半ば頃、秋田県の海岸でバイクミーティングがありましたが、その時の駐輪場に停めてあるバイクがいっぱいです。

このミーティングは、どこかのバイクメーカ主催(多分ホンダ?)で、砂浜近くでモトクロス(悪路走行用)バイクの試乗や、3輪バギーのレース等が行われましたが、こうやって、バイクメーカもバイクの普及やバイクを買った人のアフターフォローに努めていたのだと思いました。

ちなみに、このミーティングは、バイクを買ったお店の人に誘われたのですが、バイクを買った後も、時々はお店に行く事で色々新しい情報が教えてもらえて得をします。

また、バイクを買った店とは違いましたが、私はツーリングクラブ(暴走族じゃありません)にも所属していたのですが、暖かくメンバーに加えてもらえました。「今度の日曜に、日帰りツーリングに行くけど、一回参加してみなよ!」と誘われ、ブーツが必須だったのですが、お店にブーツを借りて参加です。

ツーリング当日、走行中のバイクが、どれくらい傾いているかを知るために、道路にブーツ先端をこすらせて確認していたのですが(バンク角センサー代わり)、これはさすがに、お店の人に怒らまして、その場でブーツを新調することになりました。

安全第一で、最もパワーを得るために全開走行し、危険なきバイクのコントロールし、載せられているのではなく乗りこなす・・・、これがツーリングクラブで得た走りかな?

私は、バイク人生の中で、3度、自責の転倒はしたけれども骨折を伴うような、大きな事故を経験していません。街の中、郊外、峠道で走り方を変えてきましたし、無理、無茶はしませんでしたから・・・。

道路の危険を予知するのもライディングテクニックの一つです。

2008年4月29日 (火)

バイクを得た友人達

Z7odim4e 二十歳の頃、何かに向かって行動を起こすことが、私達が自分に課した課題だった事があります。
サークルに参加するのも良し、勉学にいそしむのも、良しだったのです。

私は、バイクの中型免許に挑戦する事とバイクを新車で買えるだけのお金を得る為に、時給500円の居酒屋でバイトをしました。

当時、私が乗っていたバイク(VT250F)は、諸経費込で45万くらいだったのですが、500円を積み重ねていくには、はるか遠くにあるゴールの様に思えました。

写真左が私ですが、中央の友人は、RZ50で、早い話原付なのですが、最高速で90km/hは出る化け物の様な原付でした。右のバイクは、オフロードで125ccでした。それぞれ新車です。

今の若者の様に、遊びに選択肢が多くなかった時代で、バイクに乗る事は「自立の象徴」だったみたいなところがありましたね。どこの高校も「バイク3ない運動(乗らない、買わない、免許を取らない)」でしたから、その「3ない」の呪縛から解き放たれる感じです。

バイクの免許は、クルマの免許よりも後に取ったのですが、学生にいきなりクルマを買い与えるほど、私の家はリッチではありませんでした。

バイクは、危険だと親は思っていた様ですが、古いアルバムの写真にバイクに跨った若かりし日の父の姿を見たことがあります。

精神的、経済的に自立したがっている若者には、バイクがいい様に思います。

2008年4月28日 (月)

1800kmのバイクの旅

Liytrqkh 最終学年の夏休み、私は「秋田〜兵庫間の往復1800km」をバイクで走りました。しかも、秋田→兵庫は、1日で走破しました。

真夜中1時に出発し、友人と秋田市郊外まで一緒に走り、2時前には、単独で国道を南下して行き、夜が明けた頃には新潟に着きました。

午後3時頃、金沢のファミリーレストランで遅い昼食兼長期休憩でした。高速を使いさらに南下し、琵琶湖の西を走るルートを選択しましたが、この選択は間違いでした。

琵琶湖の西は、信号が多くてクルマの列が長かったのですが、時間を短縮する為に、信号待ちのクルマの列をすり抜けしたのですが、今考えてもとても危険な事だったと思います。後悔したのは、少々大回りでも高速を使ったほうが安全だったと思った事です。

夜9時頃、実家に無事到着しました。約20時間、900kmに及ぶバイクの旅の往路は終了しましたが、寝る時には、バイクの振動が体に残り、しばらくバイクに乗りたくないと思ったものでした。

帰路ですが、兄が付いて来るとかで、兵庫から新潟の糸魚川の民宿まで、一日目は走破し、二日目の朝は、宿から分岐点まで少し走りましたが、雨でした。分岐点以降、私は秋田に、兄は長野に向けて走ったのです。(写真は分岐の交差点で兄に撮ってもらった写真です)

ともかく、往復で1800kmの旅ですが、ハッキリ言って、若かったから出来たんだろうなと、今でも思っています。

ちなみに、ツーリングで一日に走る距離は300〜400kmが適当とされています。

2008年1月26日 (土)

九州バイクツーリング

6l4roqwb '90年に高校時代の友人と各々のバイクに乗って九州へ遊びに行きました。1日目門司の国民宿舎、2日目熊本市のビジネスホテル、3日目北九州市の国民宿舎と3泊4日の日程でした。

友人に宿の手配を全てしてもらっていて言うのも何ですが、私らは自分達で勤めてお金をもらっている社会人ですよね、なんなん3泊中1泊ぐらい温泉に浸かってもバチが当たらへんのとちゃうか?

同行した友人の話ですが、門司の料金所で道を聞くのはいいが、聞く時間が長過ぎる。あっという間に20台くらいの車を待たせています。(場の空気の読めない友人です)

長崎市内をチョット出たところで、自動販売機の前で休憩を取った時も、私は歩行者に迷惑が掛からぬよう脇に寄せて停めていたのに友人は、歩道の真中に置いたから歩行者がバイクを避けて車道を通っていたので、私は注意したのですが、友人は「そんな細かい事を気にしとったら大物になれへんぞ!」と返ってきた。「大物って細かい気くばりがさりげなくできて、皆から支えてこそ大物の立場を保てるんや!あんたには、いつか痛いしっぺ返しくるで!」と私は言い返しましたが、私の気持ちが友人に伝わったかは分かりません。(ちなみにこの後、友人は低速でこけてステップを折るはめに・・・、次の日ショップでバックステップを購入し直りましたが・・・)

熊本で、タンクバックに地図を入れながら自分で道を探そうとせず、すぐに人に聞いている友人・・・。知らないところで迷ったら、地図に頼らず道にある案内板を見ればいいですよ!迷っている時は、地図のどの場所に立っているかも分からないはずで、地図を見れば混乱するだけ・・・。まずは道路の案内板や目印となる大きな建物、駅を見つけ自分が地図上の何処にいて、何処に向かって走っているかを知る事が先決なんですよ。

私は、太陽の方向と大体の時間で、東西南北を推定します。これらはナビの無いバイクツーリングならではのテクニックなのです。

2007年9月 6日 (木)

ハンドルの無いバイクの置物

Sgfchisv 私はバイクの置物を2台持っていますが、レッドバローンでバイクを新車購入すると付いてくるオマケです。
金メッキのハーレー(?)は、’89年にCBR400RRを購入した時にもらったもので、ハンドルがありません。
実は、部屋の本立てに飾っていたのですが、震災で床に落ちてしまいハンドルが折れてしまったのです。震災とは阪神淡路大地震の事で、私の住む地域では震度4くらいでしたが、本棚が倒れそうになるくらい揺れました。

もう一台は、ブラック仕上げの渋い感じのするバイクですが、’03年にエイプ100を新車購入した時にもらったものです。

ハーレーの置物が金メッキとは、バブルの頃(’89年)だからでしょうね、きっと・・・。それに比べ、2台目にもらった置物は、渋すぎて置き場所がありません。第一に子供の足にでも落ちたらケガをしそうです。重いので子供のオモチャにも出来ません。

でも、今後もバイクに乗るようなことがあったら、オマケでバイクの置物をくれるレッドバローンで買うかも・・・。

2007年8月22日 (水)

勝てない日本製バイク

Yporxlsv 新聞記事から抜粋。写真は、イタリア製ドゥカティで勝利のウイリーをしているストーナーを紹介したものです。
モトGPは、バイクのレースの中の最高峰ですが、強いのは日本のホンダでもヤマハでもスズキ、カワサキでもなくイタリア製のドゥカティが強いのです。今年、ドゥカティが王座に付けば、1975年から続いていた日本製バイクのタイトルを外国メーカに渡ることを意味します。

バイクレースの世界では、日本製でないと勝てない時代が、長く続きましたし、これからも続くものと思っていました。ところが、海外のメーカも黙ってはいなかった。
また、今季ドゥカティに乗っているケーシー・ストーナー(21)は、モトGP7勝であるが、ストーナーの実力もすごい。

日本では、馬力規制のバイクを作ってきて、技術の停滞みたいなことが起きていなかったのでしょうか?やはり、レースで磨いた技術を市販品にフィードバックするのは常識だけど、その逆もあるように思えます。
また、パワー追求型エンジンとパワー抑制型エンジンの2種類を開発していかなければならない日本のバイクメーカがとても不憫だと感じます。

今年でバイクの馬力規制が終了しました。(本ブログで紹介しています)来季のレースには、再び日本製バイクにタイトルが戻ってくる事を信じています。


2007年8月12日 (日)

バイク・ツーリングクラブ

Llnpk42u VT250に乗っていた頃、私はバイクショップが運営する正式なツーリングクラブに所属していました。(暴走族とは違いますよ)とは言え、月に一度の2時間ほどのミーティング(喫茶店で茶を飲んでいただけ)と、月に一度の走行会(日帰りツーリング)があるだけで、ほとんどショップの店長の人柄で集まっていたようなメンバーばかりです。

ツーリングは、有料道路をサーキットと呼んで、そこを目的地にしたり、そばを食べる目的で峠越えをしたりのユニークなものが多かったです。
幹線道路では、店長(ツーリングリーダー)が先頭に立ち、Vサインを出すと、段ちの二列で比較的交通の流れを軽くリードするくらいの速さで移動しました。店長の実の弟さんが最後尾に付け、列から遅れそうになった人のフォローに当たっていました。(弟さんはプライベートですが125ccのバイクでレース参戦してる腕前)

どこで見付けて来るのと言う様な峠道の入り口で、店長の一本指が高々に上がると、今まで皆大人しかったエンジン音がバリバリ全開音に変わり、矢の様な速さでコーナーに突っ込んでいきます。私は、何が何だか分からないうちにその集団に付いて行こうと思い、レットゾーンの手前の走りを初経験、コーナーのオーバースピードも経験したが、何とかこけることなくヨタヨタ付いていきました。
何度かツーリングクラブで走ることで、マックスパワーの出し方とそのコントロール方法、一般道路と峠道のメリハリの重要さ、峠道では自分腕前しか頼れるものはいないってことと体で覚えていきました。

ツーリングクラブに所属していた事が、バイク人生で取り返しの付かないような事故を避ける事が出来たんだと思います。

2007年7月28日 (土)

バイクの転倒経験

Rx1h9mvt バイクで転倒した経験は、18年のライダー生活で3回もあります。コーナーでのオーバースピード、新品タイヤでの転倒、わき見運転による急ブレーキの失敗が転倒につながりました。
最初は、峠道をそこそこ走れるようになった頃、ヘアピンカーブでスピードが出ていました。直感的に曲がり切れないと思いコーナーの外側に目をやったのですが、今までバンクしていたバイクは起き上がり、センターライン付近からコーナー外の土手に向かって走り出したのです。
あわてた私は急ブレーキを掛けたのですが、前輪をすくわれる様にしてバイクは転倒、私は5メートルくらい前に飛ばされました。半袖だったため右手に、浅かったけど広い傷を負いました。
反省点は「視線が全て」なんだと悟りました。コーナーの外側に目をやると頭の位置と重心が移動するので、バンクしていたバイクが起き上がります。仮にオーバースピードの恐怖心に打ち勝ってセンターラインに視線を持って来ていれば、案外スムーズにコーナーを駆け抜けていたのかもしれません。半袖も大いに反省しました。

次に新品タイヤですが、表面の薄い一皮がむけるまで慣らしが必要で、転倒はタイヤ交換してから300メートルほどにある交差点で曲がろうとして転倒しました。(経験の浅さです)

最後のわき見ですが、軽い渋滞中それは起きました。わき見から前に視線を戻した時、直前のクルマが止まったぶつかると判断し、急ブレーキを掛けたら、前輪を中心に後輪が浮き、ジャックナイフ状態で転倒でした。服装は皮つなぎで怪我はありませんでした。

18年間で3回転倒は、幸運なのかもしれません。クルマ対バイクの事故は皆無です。

2007年7月25日 (水)

バイクと冬の日本海

_esydb7o 20代の頃、職場の人間関係に疲れた時は、冬だろうと平日であろうとも日本海でした。ストレートに言うと「サボり」でした。(年に3回くらいだったでしょうか)
でも、バイクは、自分の走っていく道の安全や行く先の天気の変化に集中しなければなりませんから、嫌な人間関係の事を一時考えずにすみます。
つまり、バイクでこけない様に集中して走れば自分の事が最優先となり、ひと時だけは他人のことを気遣わずにいれるのです。クルマでは、こけるとか雨の事が心配要らないとかで、こんな心境にまで至りません。
冬の日本海は、波が荒く鉛色の海です。バイクで一人で来て、荒波で自分を癒して帰るだけです。

現在結婚もし子供もいますので休んでも自分だけのものではありませんし、第一にバイクも無いので昔の様な日本海にバイクはありえません。
でも、人間関係を頭の中でリセットするのには「バイクと冬の日本海」が最高の組合わせでした。
午後にはスッキリとした気分で家に着き、次の日からの仕事の活力になっていましたね!
バイクは最高、だった。

2007年7月 9日 (月)

バイクの馬力規制廃止

Cbotihc7 7月7日の新聞に「バイクの馬力規制撤廃」の記事を見つけました。多発するバイクの死亡事故を減らす目的で、1990年から始まった自主規制だったようです。
こんな規制があると、国内のバイクは全部、加速の悪いバイクだらけです。
乗ってて胸をすくような加速をしないバイクばかりじゃ、ライダー人口が減るのも分かるし、海外のバイクや逆輸入車の人気が上がるのも当然です。
(馬力)=(トルク)×(回転数)×(定数)ですから、馬力を抑えるならば、通常はトルクを下げる方法が取られますから、力強さのない面白くないバイクの大量生産です。

バイク人口が増えればその分、確率から考えると事故も増えるでしょうね。でも、馬力を落とせば事故が減るって考えはおかしいと思いますね。危険を回避するためにアクセルを全開する場合もあるって事を知っていてほしいです。その時のトルクが低い事によるレスポンスの遅れが、命取りになります。

私は、昔はライダーでそれなりに走りを楽しんできたつもりですが、幸いな事に自己責任の転倒はあるけど命に関わるような事故は経験していません。多分、峠道と市街地とではまったく違う走り方していたからでしょう。
また、ツーリングクラブに所属していて走り方を教えてもらったのが良かったのかもしれません。

2007年6月24日 (日)

ピンチヒッターのバイク

Ar1qq_2m ’03年からクルマ通勤からバイク通勤に変える事になりました。ホンダ・エイプ100を用意したのですが、後続車の無理や無茶な追越をたくさん経験し、危険と判断し3週間でエイプを手放しました。小さなボディと100ccの排気量が災いしたと考え、250ccの中古を探す事にしました。
代打となるバイクを探していて、写真のヤマハ・ジールを店員さんに紹介されました。ボディの一部が色あせていましたが値段を考えるとこれくらいは問題なし。

ヤマハ・ジールは、250ccで4気筒、ヤクルトが80ccですから、ヤクルト並のピストンが4つ並びます。私は、250ccならば、2気筒くらいが一番バランスが取れていると思っています。
ボディが大きく排気量も倍以上になると後続車の無理や無茶な追抜きもなくなりピンチヒッターの効果は大きかった様です。
ヤマハ・ジールは着座位置が低いので、とても乗りやすいバイクでした。飛び跳ねたイルカをイメージしたデザインからも女性に人気がありました。

短命のバイク・エイプ100

Ymn_w_yc ’03年息子の幼稚園のため、泣く泣くプリメーラ・カミノを手放しバイク通勤に変える事になりました。そのため、新車購入したのが写真のホンダ・エイプ100でした。
以前乗っていたCBRは、結婚と同時に廃車にしていたので、まさかまたバイクに乗る事があるのかと思いましたが、家計を助けるためのバイク通勤です。

でも、ホンダ・エイプは3週間で終わる羽目になりました。通勤路で非常に危険な目にあったからで、交差点の右折で私が誤ってRV車にかぶせる様に前に出た事があって、その仕返しに今度はRV車が私のバイクにかぶせる様に追抜きを掛けたのです。かなり危険な追い抜きだったので、家に着いてからもガタガタ震えるほど恐い思いを経験しました。
それ以外にも何度かマナーの悪い追い抜きを経験しました。250ccや400ccに乗っていた頃には経験しなかった後続車の危険な追い抜きです。
100ccの排気量と50ccのボディに原因があるようです。私は100ccなら十分交通の流れに乗って走れると思い比較的道路の真中を走っていたのですが、ボディは原付の大きさだったので後続車は無理や無茶をしてでも追抜きを掛けるようです。
このままでは、いつか事故に遭うと判断し、エイプを所有期間3週間、走行距離100kmで手放す事に決めました。

ドライバの皆さん、ピンクナンバーのバイクは、結構早く走れるバイクです。無理な追い越しは止めてください。

2007年6月23日 (土)

2台目のバイクCBR

Z3otmonx ’89年1月に、以前から欲しかったバイクを新車購入しました。中型免許しか持っていなかったので400ccが限界です。
ホンダCBR400RRで、当時大流行のレーサーレプリカバイクです。皮つなぎ、手袋、ヘルメット等も新調し、合計で安い軽自動車が買えるくらいでした。幸い会社勤めも5年経ち、貯金もあったのでキャッシュでの買いものでした。
会社の連休を利用して、九州、伊勢、天橋立と高校時代の友人とでツーリングを楽しみました。
CBRが出た数年前からタイヤがラジアルタイヤになりました。もちろん、レーサーの世界から市販品へのフィードバックです。4輪では当たり前のラジアルタイヤもバイクの世界では、市販バイクへの導入が遅れていました。
ラジアルタイヤのメリットは、コーナーでバイクを倒した時タイヤの変形が、従来(バイアスタイヤ)のタイヤのように変形しない事です。ライダーの間では「よれる」と表現しますが、ラジアルタイヤは「よれない」ので安定したコーナリングが約束されていました。傾けても恐くなくなりました。

CBR400RRは、レーステクノロジーを余すことなく盛り込まれ購入状態でそのままサーキットを走れるくらいレーサーレプリカバイクでした。ただ、エンジンは神経質で一発始動とは行きませんでした。

2007年6月22日 (金)

初めてのバイクVT250

Rirl1vgs 初めて乗ったバイクは、友人から借りた原付でした。ちょっとした峠道に原付を持ち込んで走ってみてバイクの爽快感を思う存分楽しみました。それはハタチの頃の出来事でした。
中型免許を免許センターに直接取りに行く事9回目、やっとの思いで合格。居酒屋でアルバイトを始め、写真のVT250が新車で買えるようになったときには、21歳になっていました。

ホンダVT250は、当時クラス最速のヤマハRZ250を打倒するために、全てパーツを新規で開発された250ccのバイクでした。RZは、2サイクルエンジンで、エンジン1回転に付き爆発は1回なので、トルク・瞬発力において優位でした。ホンダは、2サイクルのRZに対して4サイクルのVTを対抗馬に持ってきたのです。
4サイクルは、エンジン2回転に1回爆発なので2サイクルと比較してトルクは低かった。でも、トルクの低い分回転数を上げることで、パワーを稼ぎ出していたのが、ホンダのVTです。レットゾーンが、12500回転からだったと記憶しています。

とにかく、ツーリング・通学・通勤と使いましたが、寒い朝の一発始動はエンジンの信頼性の高さを物語っています。私をホンダバイクの熱烈ファンにさせた1台です。